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青春の思い出 −−故市川正孝兄を偲ぶ−−

 


昭和33 年卒業 角田 正之

 ここに一枚の写真がある。私達が大学2年の時、正確には昭和三十年五月、福岡平和台球場で開催された西日本地区大学野球選手権大会に出場した時のものである。当時の長大硬式野球部は各学部より選抜された選手で編成されていて、我が薬学部からは市川、西脇と私の3名が入り、ほかに学芸学部(現教育学部)から3名、医学、水産、経済の各学部から夫々2名がこの大会に出場した。(当時のメンバーは全員で約20名であった。)
 チームの実力は当時の九州地区国公立大ではAクラスで、確かこの大会の2回戦で福岡商大(現福岡大)に快心の勝利をおさめたことからしても最強のメンバーであったと自負しています。
写真  市川兄は2塁手で2番バッター、西脇さんは外野手、私は一塁手か投手でした。当時の市川二塁手は軽快で堅実な守備で幾度となくピンチを救ってくれたし、打撃ではシャープな打法で左右に打ち分け、チャンスメーカーとして存分な働きをした名手でした。また、薬学部のチームでは三番ショートで私が投手で試合の途中で打ち込まれたピンチに名リリ一フをし勝利を勝ち取ったことがしばしばでした。このようにチームは学部対抗戦や熊大との定期戦では殆どの試合で負けたことはなかったと思います。
 市川兄と私は全長大、薬学部のチームのメンバーとして4年間共に一緒にプレーをし、勝利の感激と敗北の屈辱を分かちあった得がたい友人でした。私が大学時代から今日までの40有余年の間、市川兄から学び教わったことは数多くありましたが、特に彼はいっも明るくプラス指向で全てのことを素直に受け止め、日頃からの切磋啄磨の努力をしてチャンスを的確に生かしピンチには辛抱強く冷静に防ぎ、それこそ多くのことをスマートに確実に実行されて大きな成果を上げられていたことを私は教わったと思います。

 天地の悠久に比べ、市川兄と共に過ごした年月は寸陰の間かもしれませんが、彼が生きた65年の人生は並々ならぬ努力をもとに明るく楽しく常に前向きで充実したものであり、このことがあとに残った私共の生き方の指標として永久に輝き続けるものと確信します。
 最後にこれまでの御交誼、御指導、友情に対して心からお礼を申上げます。

追記
  故渡辺三明さんのこと

 渡辺さんとは長薬野球部のOB会ではじめて出会い、それから約30年の長い間お世話になっていましたが忽然として幽明境を隔てることになり、ただただ痛恨の極みです。これからもずっと存命で益々OB会などでご指導、ご活躍を願えたものをと天の無常を感じざるを得ません。彼の熱い思いとたゆまぬご努力が今日のOB会の発展に大きく寄与したことは偉大であり、彼の意志を私共一人一人が引き継ぎ永遠に不滅のOB会にすべきものと決意しています。

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